BUCK-TICK

「MY FUNNY VALENTINE」(作詞:櫻井敦司 作曲:今井寿
BUCK-TICKに惹き付けられる人達にとって、その(不思議な引力のような)要因とは一体何かと考えるとき、「非・ロック」的な楽曲作法という事がその一つに挙げられるのではないだろうか。元々、今井寿に所謂洋楽ロックの下地は皆無で、普通にテクノ、パンク、ニューウェーブ、といったその時代の新興ジャンルをなぞるような雑食のルーツを持つ。95年、一念発起して、古典ハード・ロック作法を取り入れ制作した「唄」は唯一それっぽいが、それもやはり“アイデアの一つ”としてその手法が選択されただけのことである(個人的に「唄」はカッコ良くて好きな曲。まさかのゴリゴリなギターリフに驚きはしたが、そこにアレな感じはなく、アレなギタリストが恍惚の表情で披露するあの“キュイ〜ン、ギュイ〜ン”という滑稽な所作、頭の悪そうなギターソロ・パートも当然のように採用していない、などの取捨選択スキルも確か)。こういった試み(センス)は、古き良きジャンル・ミュージックの揺り戻しの機会を狙うDJ的感覚にも似ている。例えメンバーが「バンドです」、「ロックです」と自己存在証明的な発言をしようとも、やはりBUCK-TICKの楽曲提示のスタイルは柔軟であり、本質的なところでは自由に限りなく近いと言えるだろう。
90年代初頭のクラシック「狂った太陽」に収録の「MY FUNNY VALENTINE」は、当時、斬新という言葉を一身に集めた楽曲である。その時のインタビューで、今井は「人力ループ、サンプリング、反復」といったキーワードを繰り返し使っていた印象がある。自らのギターシンセで奏でる、まるでジャズ然とした妖しいサックスのフレーズを、タメを含みつつどこかコミカルにハネる、まさに生ループ・ブレイクスに絡めるアイデアは、当時のトレンドであった「ロックとダンスの融合」というスタイルとはまた一味違う、BUCK-TICK特有のムーディーでダンサブルでストレンジな感触を併せ持った、他を見渡してもどこにもないドリジナルなアプローチであった。そして、この頃から曲中で一人称(人格)を分裂させる手法(この曲においては、もう一人の自分のパートには今井のファルセットを適用)を取り、自分という人間の弱さ、精神の危うさを曝け出すという表現方法の開拓に果敢にチャレンジしていった櫻井敦司による至極の詞も、更に異端化に拍車をかけている。
「俺はカゲロウ... お前はまぼろし...」
精神衰弱の末、辿り着いた場所こそが安息の頽廃。
無常、否、虚無、否、狂気。