飼育の部屋 連鎖する種」を観た。
時間も場所もそのまんま引き継いでるシリーズ物なので設定的に無理なのはワカルが、僕としては主人公が小沢和義さんじゃないというのは痛い。決して悪くはないが、いわゆる3作目、パート3的な作品が醸し出す悲哀を感じた。決して広く薄く拡大されていく類いの散漫なパート3モノではなく、タイトな質感は保っている。却ってそのことが比較を容易にした。やっぱり小沢和義じゃないとダメだ。「飼育の部屋」を観るということは小沢和義を観るということだ。小沢和義は爆弾。小沢和義は刃物。今回も出てる遠憲はやっぱり面白いし(というかもう、最高!と言いたくなる)、根岸さんも素晴らしい。でも僕はやっぱり小沢和義が観たい。小沢和義の世界に狂れたい。そういえば今回、遠憲のシーン以外笑っていない。1作目、2作目は殆ど笑いっぱなしだった(誰だってヤバすぎると笑うでしょう)。確か社会派官能シリーズとかいうコピーがついてて、心理-精神-病気-トラウマ満載なプロットが恒例で今作もやはりそれはそのままなのだが、個人的にはそんなお話は大好きなのにも関わらずあまりクイッと来なかったのはやっぱり僕は、ただただ、小沢和義にヤラれてただけに過ぎなかったということか。これでシリーズ完結らしいが、結果的に未練の残らない良い締めになったのかも。
(今作でも小沢和義さんは出演はされています)
(この文章は何度「小沢和義」と言えるかを試した物ではありません)


続けて


ヴァイブレータ」も観た。
前々から寺島しのぶさんの評判だけは耳にしていて実際に芝居を観た事がなかったので、作品というより人で借りた(なんか上のと、一緒だ...)。(トラック)ロードムービーでいて、生生しく人間人間した話。寺島さんははっきり言って(多分)うますぎて見ていて痛々しかった。コンビニのホワイトデー・コーナーを尻目に「人工欲情装置に踊らされてんじゃないよ」というような心の声を吐き、その後すぐ出会った見ず知らずの男に惹かれ、激しくも切実に温もりを求める。とても直感的、直情的な、人間の持つ本来の感情に素直に生きているがゆえに生きにくい。現代の、欲情ひとつするにもその間に他の誰か何か、企業だのマニュアルだの常識だのに従う、従わされることに慣れた、慣らされた人たちの中では生きにくい。原始的というか、いわゆる自発性トランスとか、そういう身体全体で反応して生きている、そんな寺島さん(役名忘れた)に見初められた男(大森南朋)がまたさすがというか、なんか悲しくて優しいとてもいいヤツで…。人間だ。うーん。人間だ。人間と人間。人間ロードムービーだ。
(人間と打ち過ぎてあれが少し麻痺しています)